樋爪氏の時代巡り

D 浄土景観を創った五郎沼


五郎沼案内板
どうして五郎沼  五郎沼は、かつては現在の面積の4倍程度の広さであったと伝えられている。江戸末期・明治期に開墾のため埋め立てられ、ラグビーボールのような現在の形になった。名称の由来については、桶爪俊衡の弟・五郎季衡が幼時に遊泳した池であったとする伝承、五郎がこの地方の領主であったとする伝承、五郎沼の近くに五郎の墓があったとする伝承があるがその真偽は定かではない。江戸時代の絵図には観音島という中島が描かれており、そこに祀られていた千手観音像は五郎沼近くの嶋の堂の本尊として安置されている。



五郎沼西岸の桜
五郎沼の桜  五郎沼は、滝名川上流河畔、志賀理和気(赤石)神社、高水寺城跡(城山)とともに桜の名所として知られる。花見客が行列をつくる名所ではないが、遠くに望む奥羽山脈や北上高地を借景とし、水面に枝垂れるように咲く桜の一群は自然の中に溶け込み、「桜のある原風景」を体感させてくれる。朝一番の風がなく水面が凪(な)いだ時に目にする満開の桜は、大自然の水面鏡となって水面に美しく浮かび上がる。その幻想的な光景は春の紫波町を代表するビューポイントであり、時間の流れを忘れさせてくれる癒しの空間でもある。


宮沢賢治歌碑「さくらばな」
宮沢賢治と五郎沼  五郎沼は、盛岡藩の公式記録や盛岡藩・仙台藩の地誌類に登場する。江戸時代の民俗学者である菅江真澄は、その旅行記の中で五郎沼と平泉の砂金の埋蔵伝説を伝えている。五郎沼はJR東北本線の日詰駅から徒歩でも行ける距離にある。日詰駅は宮沢賢治の作品の舞台となった駅で、構内に「さくらばな」にちなむ歌碑が建つ。宮沢賢治は、「五郎沼」や「紫波の城」にちなむ作品も残している。「紫波の城」の舞台である高水寺城跡にはその歌碑が建つ。同じ城跡には野村胡堂の「かたくり」の碑が建つ。どちらも恋を主題にした歌である。


野鳥が飛来する五郎沼

五郎沼の水辺空間  五郎沼は、四季折々の草花が咲き誇り、ハクチョウやオナガカモなどの渡り鳥や野鳥の飛来地として知られており、鳥が羽を休める自然豊かな空間である。紫波町では数少ない親水空間である五郎沼は、生物の生息域を拡げ、つなぐ貴重な水場である。自生する水辺植物・野草や昆虫など、動植物の生息・生育・繁殖環境の多様性を体感できる水辺の空間は、散策や憩いの場として親しまれている。周辺には薬師神社・嶋の堂が静かにたたずみ、古代・中世の歴史文化の営みや時代の流れを気付かせてくれる歴史空間である。