樋爪氏の時代巡り

K全国でも珍しい四大明王


降三世明王(県指定文化財)
明王とは  仏像は、如来・菩薩・明王・天部などに大別される。明王は、如来(悟りを開いた者)の教えに従わない人々や生き物を如来の命を受けて怒りの形相(ぎょうそう)である忿怒相(ふんぬそう)で調伏・教化する仏法の守護神の総称である。とくに真言宗の密教では不動明王を中心に、降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごやしゃ)の各明王を四方に配置することが多い。密教は平安時代前期に隆盛したことから、密教修法において五大明王を個別に安置して国家安穏などを祈願したと考えられる。


金剛夜叉明王(県指定文化財)
五大明王とは  五大明王は、密教(教団内で非公開で行う秘密の教義と儀礼)に特有な5躯の明王である。東密(真言衆の密教)では、不動を中心に、東に降三世、南に軍荼利、西に大威徳、北に金剛夜叉の各明王が四方に配置され、いずれも忿怒の形相を表わす。台密(天台宗の密教)では、金剛夜叉の代わりに烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)が加わる。五大尊で一具(組合せ)となり、「五大明王」または「五大尊」と呼ばれる。正音寺の4躯の明王像は、明王の代表仏である不動明王を欠いていることから、「四大明王像」と通称されている。


大威徳明王(県指定文化財)
赤沢の四大明王像  赤沢正音寺の「四大明王像」は、カツラ材の一木造りで、4躯の両手はすべて失われている。大威徳明王は神の使いである水牛にまたがっている姿で表現されることが多い。江戸時代の『仏像図彙』(ぶつぞうずい)でも水牛に乗った坐像姿で表現されている。ところが赤沢正音寺の像はなぜか立ち姿で表現されている。この型式による図像は、『仁王経五方諸尊図』にみられるが、図像を実際に立体的な彫像で表現している作例は少なく極めて貴重であり、全国に誇れる仏像である。11世紀後半の制作と考えられている。県指定文化財である。


赤沢地区の山並み
明王像はなぜ赤沢に  五大明王像は、息災、調伏のほか、とくに天皇や国家の大事の際に祈願する修法の本尊として祀られることが多い。この地方では安倍氏が滅亡した前九年合戦(1051〜1062)後に征夷の完遂を目的とした延久2年合戦(1070)があった。この合戦で閉伊・鹿角・津軽地方など広大な地域が中央の政権下に組み入れられた。赤沢は太平洋岸の閉伊へ通じる要衝に位置し、その前線基地だったかもしれない。五大明王像を祀ったのは、国家安穏を祈願する立場にあった清原氏やその後継となった平泉藤原氏一族が想定される。