宗教遺産巡りコース

G 白きつねで名高い志和古稲荷神社

  志和古稲荷神社拝殿前の鳥居
神社の沿革  源義家が前九年合戦の戦勝祈願のため勧請したとする伝承があるが、社伝では志波郡領主斯波家長が創建し、斯波詮直の再興を伝える。盛岡藩の記録によれば、志和古稲荷神社(別当慈重院)は「古稲荷」と呼ばれ、十一面観音を本地仏として稲倉魂命を神号とし、松源山本宮寺を山寺号とした。明治期には一連の神仏判然令の影響を受け、「古稲荷」から現在の社名に変え、主祭神を宇迦御魂命とした。この祭神は、『古事記』の表記であるが稲倉魂命とは同一神である。


  志和古稲荷神拝殿

歴代領主の保護を受けた神社  古稲荷神社は、志和稲荷神社と同様に志波郡領主斯波氏の厚い崇信と保護を受けていた。盛岡藩の記録によれば、天正16年(1588)に斯波詮直が志和稲荷神社の本殿を造営する際、古い本殿を古稲荷神社の本殿として残したとする。高水寺斯波氏の滅亡後、稲荷神を崇敬した盛岡藩主南部氏は、古稲荷神社を志和稲荷神社と同様に信仰の有力社として社領の寄進や社殿の造営など手厚く保護した。藩主の参拝や代参が行われ、御成座敷も整備された。参拝の折には小豆餅・きな粉餅が供され、餅の献上は同社独特の例とされた


 志和古稲荷神社参道

重責を担った社職  古稲荷神社の別当慈重院は、江戸時代には盛岡藩修験の惣録である自光坊の支配を受けていた。盛岡藩の公式記録によれば、寛政4年(1792)に自光坊が京都本山聖護院へ法用で上京する際、別当慈重院は志和稲荷別当成就院、赤沢白山別当大徳院・長岡天王別当大学院とともに惣録役という重責を輪番で勤めている。志和郡の社職はかなり信任されていたことを示す。天保7年(1836)には、御手漁場の祈願成就の報恩として藩主南部利済から台輪と柱が一つ石からできた鳥居を奉納されている。


 志和古稲荷神社眷属のキツネ像

アニメ聖地となった神社  盛岡藩の記録では、神社の裏山に狐洞があり稲荷両社が鎮座する八幡宮山は、御身隠山と呼ばれていた。かつて神木の大杉の空洞から稲荷神の眷属(神意を代行する一族)とされる白きつねのミイラが発見された。御饌津神は稲荷神と習合した宇迦御魂神の別名でもある。狐の古名は「けつ」である。御饌津が三狐と混同され、狐と同一視されたと伝えられる。同社は、京都伏見を舞台にしたアニメ 「いなり、こんこん、恋いろは 」に登場するアニメの聖地でもある。