宗教遺産巡りコース

P 是信房と彦部

        是信房廟所
鎌倉仏教と浄土真宗  平安末期から鎌倉時代にかけて、浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・時宗・曹洞宗・臨済宗などの新しい仏教が興った。鎌倉仏教は、旧仏教の復興や鎌倉時代に興った新たな宗派の仏教の総称で、民衆を救済対象に据えていることを特徴とする。親鸞が開宗した浄土真宗もその一つである。臨済宗と曹洞宗は禅宗として厳しい修行を必要としたが、念仏を第一とする浄土教系の浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、時宗(一遍)は、仏の救いを平易に説き(易行)、経典の中から一つ選び(選択)、それにひたすらすがる(専修)という特色がある。


 正養寺(紫波町彦部)
本誓寺  盛岡市名須川町にある盛岡本誓寺は、京都東本願寺の末寺である。是房は、彦部村に本誓寺を創建したが、寺伝では天正8年(1580)に焼失し、同12年(1584)に二日町(古館)の高水寺城下へ移転した。彦部村から二日町への移転は、高水寺斯波氏の関与が想定される。斯波氏の滅亡後の寛永12年(1635)に盛岡城下に移転したが、二日町の志和本誓寺は掛所(支院)として残された。彦部の地には本誓寺のかわりに弘願院が創建され、寛文3年(1663)に正養寺と名称を改めている。

        是信房廟所

近江商人と浄土真宗  近世初期の盛岡藩で領外商品の流入、領内産物の商品化に貢献したのは近江商人である。近江商人は、盛岡城下や郡山を含めてその多くが浄土真宗・浄土教などを信奉していた。仏教では貪欲は基本的な罪とされるが、商工業者が他者(顧客)に利便を提供して自分も利益を得ることは、真宗では「自利=利他」の教義に基づいてこれを正当化した。この利他心は菩提心であり、これを発して世の中の人々を救済することを菩提行という。近江商人は、商いは阿弥陀仏への義務としての菩薩行であり、家業に精進する人倫道徳を重視した。


 本誓寺(紫波町二日町)

二十四輩巡拝  江戸時代に西国三十三所巡りなど寺院・旧跡巡拝の旅が庶民の間で流行し、往来切手まで発行された。親鸞やその高弟24人ゆかりの寺院をめぐる 「二十四輩順拝」もその一つである。また名所図会と呼ばれる絵入りの地誌も多数出版された。文化6年(1809)に出版された『二十四輩順拝図会』(後編)に盛岡本誓寺が収められている。彦部本誓寺は奥羽地方の真宗の聖地とされ、諸国の巡礼者の跡が絶えなかったと伝わる。盛岡を素通りして彦部に向かう者が多いため、盛岡藩では彦部本誓寺を盛岡城下に移したと、今でも語り継がれている