宗教遺産巡りコース

O 「あおそ」を社名とする遠山青麻神社

        青麻神社参道の両部鳥居
青麻神社とは  総本社である青麻神社(仙台市)の社伝によれば、遠祖穂積一族が崇拝する日(天照大神)・月(月読神)・星(天之御中主神)の三光神を奉祀したのが創建の由来と伝える。穂積氏が土地の人々に山城国(京都府)から青麻の栽培を伝えたことから青麻が社名となったとされ、神紋も麻の葉である。遠山青麻神社では、天地開闢)の際に最初に現れた国常立命、大日霊貴命=天照大神)、神日本磐余彦命=神武天皇)を祭神としている。


  青麻神社拝殿

神社の沿革  源義家が安倍氏との戦いである前九年合戦の際、青麻神社の前身を勧請あるいは社殿を再建したと伝える。創建当初の祭神や社名は不明であるが、藩政時代は「青麻三光宮」と称し、善養院が別当を務める修験持ちの社堂であった。本地仏である日光菩薩・金剛界大日如来・胎蔵界大日如来の三尊を祀り、白竜山遠山寺を山寺号とした。盛岡藩の社堂記録にはなぜか青麻神社の記録はなく、貞享3年(1686)に青麻三光神を分霊勧請したとする。明治3年(1870)に「赤坂神社」と改称し、明治27年(1894)に現在の「青麻神社」に改めている。


    三峰神社参道

青麻神社と常陸坊海尊  遠山青麻神社には、貞享3年(1686)に青麻三光神を勧請したとする縁起が伝わる。同社には常陸坊海尊の霊験によって中風病を封じるという信仰が伝わっている。海尊は源義経の忠臣として武蔵坊弁慶らとともに文芸作品や伝説に登場する。海尊は多くの地誌や縁起の中でも、長寿を得た人物として民俗信仰の中に取り込まれ、仙人あるいは祭神として位置づけられ、仙台青麻神社の縁起にも取り込まれている。青麻神社の勧請は義経伝説と密接に関係しながら、海尊信仰と三光神信仰が併せて取り込まれたのだろうか。


        三峰神社

青麻講の結成  講は、特定の目的をもって庶民の間で作られた組織である。有名な「伊勢講」や「富士講」といった遠方の寺社に参詣するための信仰的な講は、その聖地である伊勢神宮や浅間神社の配下にある宗教者の布教と勧誘によって庶民が結成したものである。遠山青麻三光宮(遠山青麻神社)は、江戸時代には中風息災の霊験がある神社として広く他郡にまで知られ、江戸後期になって青麻講が組織された。同社の所伝によれば、その構成員は地元郡山町が約半数を占めるが、残りの半数は盛岡城下や雫石地方の構成員が大半を占めていた。