宗教遺産巡りコース

M 赤沢薬師堂と七仏薬師如来

  七仏薬師像脇仏3(県指定文化財)
赤沢薬師堂にあった平安古仏  赤沢薬師堂は、明治3年(1870)に一連の神仏判然令のため堂宇を取り壊し、薬師如来像を遠山の正音寺に移した。明治26年(1893)に旧境内(官有地)の払下げを受け、明治29年(1896)の堂宇の再建とともに薬師如来像も旧地に戻された。この薬師堂には、かつて毘沙門天像・五大明王像が安置されていた。毘沙門天像や五大明王像は薬師堂固有の仏像ではなく、蓮華寺付属の毘沙門堂や五大堂に祀られていたと考えられるが、薬師堂に祀られた経緯は不明である。この両像は現在、正音寺の収蔵庫に安置されている。。


  七仏薬師像脇仏4(県指定文化財)

赤沢の七仏薬師  七仏薬師像は、画像として描かれる場合や黒石寺(奥州市)の薬師如来坐像のように本尊光背の七仏(六仏)と坐像本躯で七仏を表す様式が多いが、7躯の仏像一組で表現されることもある。赤沢薬師堂の七仏薬師像は、7躯の仏像一組で七仏薬師として制作されている。このような形式の七仏薬師像は少ないことから、紫波町が全国に誇れる仏像といえる。赤沢の七仏薬師像は、正音寺に祀られている明王像4体や毘沙門天立像とは違って、人々の平穏な生活や一族の繁栄などを祈願する七仏薬師法の本尊として祀られたと考えられる。


       赤沢板碑群・磨崖碑案内標柱

赤沢薬師堂近くの板碑  

高山周辺には白山神社の別当寺である蓮華寺が山岳伽藍を構えていたと考えられている。また、南方周辺には「阿弥陀堂跡」と伝わる場所があることから、この一帯は赤沢地区の信仰の中心地であったと考えられる。赤沢薬師堂から赤沢白山神社への参道途中には7基の板碑が、「阿弥陀堂跡」の周辺には3基の板碑が確認されている。音高山周辺に散在赤沢の音高山の山頂には白山神社が鎮座し、その南麓には赤沢薬師堂が所在する。この音する古碑群は、この一帯が聖地として位置づけられていたことを物語っている。


  赤沢郷土資料館の民俗資料

赤沢郷土資料館  赤沢には資料の収集から展示まで住民が手作りで開設した「赤沢郷土資料館」(平成18年開館)がある。展示資料は、もともと赤沢地区の老人クラブが明治100年を祈念して収集した地域に伝わる農耕具・鍛冶道具・生活用具などの民俗資料が中心である。この資料館は、この地域の生業であった産金関連の道具や木挽き道具、養蚕道具などの地域資料を用いて、赤沢の歴史文化の特性を地区の住民が自らわかりやすく展示・解説している。地域の歴史文化と貴重な遺産を伝える数少ない学習拠点としての機能を果たしている。