宗教遺産巡りコース

K 平安仏を祀る正音寺


正音寺の毘沙門天立像と五大明王像


紫波町の平安仏  紫波町は古代においては未開の辺境の地であるが、なぜか平安仏が多い。かつて高水寺には、神護景雲2年(767)に称徳天皇が勅願として「諸国に安置せらるる一丈の観自在菩薩像の随一なり」と評された古仏が存在した。高水寺の鎮守であった走湯神社には平安末期の十一面観音立像が安置されている。赤沢白山神社を鎮守とした蓮華寺は、山岳伽藍を構え、その一円は仏教文化の中心地であった。蓮華寺付属の堂宇に祀られていた平安仏は、廃仏毀釈を免れ、木造毘沙門天立像・五大明王像は正音寺に、七仏薬師像が薬師堂に祀られた。


正音寺収蔵庫

赤沢の平安仏  毘沙門天立像は、平安時代初期には都城の鎮護として祀られ、怨敵調伏の護法神・戦勝神として信仰された。平安時代後期から不動明王と一対で観音菩薩の脇侍や阿弥陀三尊像に付属する像として作られた。五大明王は、怨敵調伏のため辺境とされるエミシの地に祀られることが多かった。未開・辺境の地とされたこの地方で、怨敵調伏のためにエミシの地に住む有力者や宗教者が自ら住む地に毘沙門天・五大明王を祀るだろうか。国家鎮護より、天変鎮護と病魔の退散、砂金事業の隆盛とその安全祈願のために祀られたとする考え方もある。


   木造毘沙門天立像(正音寺)
木造毘沙門天立像  県内には北方を守護するという毘沙門天像が北上川流域に多く祀られている。紫波町では赤沢正音寺に安置されている。「五大明王像」と同じく、かつて赤沢蓮華寺に祀られていた平安仏である。毘沙門天は四天王の一人に数えられる。中国において武神としての信仰が生まれ、密教では北方を守護することから戦いの場には軍神として祀られた。前九年合戦で安倍氏が滅亡した後、「延久二年合戦」(1070)などで鎮護国家の法要を営む地位にあった清原氏やその後継である平泉藤原氏が祀ったのだろうか


    五大明王像(県指定文化財)
五大明王像  五大明王とは密教に特有な5の明王である。真言衆の密教では、不動を中心に、東に、南に、西に、北にの各明王を四方に配置され、五大尊の組合せで「五大明王」と呼ばれる。の明王像は、明王の代表仏である不動明王を欠いていることから、「四大明王像」と通称されている。五大明王像は、息災、のほか、とくに天皇や国家の大事の際に祈願する修法の本尊として祀られることが多い。この五大明王像は、木造と同じように清原氏やその後継である平泉藤原氏が祀ったのだろうか。