宗教遺産巡りコース

I 水神を祀る水分神社

   水分神社(奥宮)本殿
神社の沿革  『水分郷土教育資料』によれば、阿倍比羅夫が東夷征討の折、香取・鹿島の二神を勧請したという。社伝では藩政期には「水分稲荷大明神」と称し、宇迦之御魂命を祭神としていた。盛岡藩の記録によれば、藩政期には「水分大明神社」と呼ばれ、寛永元年(1624)に小屋敷村・南伝法寺村・太田村の用水?盛のため建立したとする。明治10年(1877)の『岩手県管轄地誌』では祭神を「水分之神」と書き上げ、同12年(1879)の『紫波郡神社明細帳」には「水波能売命」と書き改めている。



水分神社(奥宮)の清水

ヒカリワケ神社  水分神社は、かつて「ヒカリワケ神社」と称され、「洸分」や「光分」の文字が用いられた。神社からの湧水が近郷に分水されているため、「みつわけ」(光分)に変わり、「水分」と呼ぶようになったという伝承がある。近世の民俗学者菅江真澄の旅行記では、「西なる吾妻峯という麓に志和の稲荷という神あり」と記しているが、「志和の稲荷」は現在の志和稲荷神社ではなく、水分神社であるとする考え方がある。水分神社は藩政期に「水分稲荷大明神」と称している。菅江真澄は水分神社を志和稲荷神社と勘違いしたのだろうか。



水分神社(里宮)
里宮がある水分神社  神は海から岬に来て山に昇り、里に降り、田(集落)へ降るとされる。水分神社は、その山麓に山宮(元宮)があり、東方に広がる田園地帯に遙拝施設として里宮(田宮)が鎮座する。里宮をもつ近くの新山神社と同じように、山の神〜山宮〜里宮と一直線につながる神の来臨構造がここでもみられる。水分神社の神体は東根山とされ、その神徳は集落を潤す豊饒な水であるかもしれない。平野部に位置する里宮には、室町時代以降の懸仏が現存していることから、江戸時代以前に創建されていた可能性が考えられる。



東根山
東根山  水分神社は、水源地に祀られる水神である「水分之神」を祭神としていた。この水分之神は、水を分配する水配りが、「水配り」から水配に変化したとされ、山の神とも結びついている。その山の神である東根山は、紫波町の西部にありながら「東根山」と呼ばれている。なぜだろうか。延享2年(1745)頃に編纂された「閉伊郡遠野東岳開基」によれば、早池峰山は古くは「東根岳」・「東子岳」などと呼ばれていた。志波地方でも信者が多かった早池峰山信仰と関連があるのだろうか。