宗教遺産巡りコース

@ 頼朝が立ち寄った高水寺


走湯神社拝殿
走湯神社とは  走湯権現は、伊豆山神社(熱海市)から勧請された温泉(走り湯)を神格化したものである。走湯神社は、源頼朝が布陣した時は高水寺の鎮守社として既に存在していた。『吾妻鏡』は、走湯神社の境内社である大道祖神は藤原清衡の勧請と記録しているが、走湯権現の由緒については触れていない。盛岡藩の記録では、走湯神社は高水寺持ちの社堂で「走湯大権現」と呼ばれ、由緒は不明とする。本地仏の記録はないが、境内には諏訪大明神・大同祖神・天満宮・八幡宮・牛頭天王社・馬頭観音堂があったことが確認できる。
 



走湯神社境内
走湯権現とは  

伊豆山神社(熱海市)は、かつては伊豆大権現・走湯大権現などと称された。同社の社伝では、その神威の源はき出る霊湯「走り湯」とされ、走湯権現はこれを神格化したものである。平安時代後期には山岳として熊野信仰と結びつき、全国に末社が祀られた。古館走湯神社は、高水寺の鎮守社として伊豆の走湯大権現を勧請したものと考えられるが、高水寺とどのように結びつくのか記録類を欠いているため不明である。早池峰山には伊豆権現を勧請した伊豆神社がする。早池峰信仰の影響を受けているのだろうか。



走湯神社境内の道祖社
藤原清衡が勧請した道祖神  『吾妻鏡』によれば、走湯大権現の傍らに藤原清衡が勧請した道祖神が祀られていた。当時、比爪館は北方開発の拠点であり、志波郡は本州最北端の入口に位置していた。道祖神には邪悪神の侵入を防ぐ神威があり、法華経に深く帰依することで観音菩薩の従者に生まれ替わるという教説が流布していた。道祖神の神威や霊験が熊野から走湯山のある東海地方を経て石巻湾に至る物流の道に乗って、法華経を厚く信奉する平泉藤原氏に伝えられたのだろうか。当時の物流の道は信仰の道であり、現在と同じように文化の道であった          


木造十一面観音立像(県指定文化財)

木造十一面観音立像  『吾妻鏡』によれば、高水寺の本尊として一丈(約3m)の観自在菩薩像が祀られていた。諸国に安置されたうちで随一と評価されているが、その像は焼失したと伝わる。現在の走湯神社の観音堂に祀られている十一面観音立像は、その後身として造像されたものとされる。移転した高水寺の後身とされる片山寺の本尊であり、「二日町観音」とも呼ばれる。一木造りで約1mの像高である。頭上には阿弥陀如来の化仏をいただき、豊かな量感と穏やかな表情をたたえ、平泉藤原氏の時代と重なる平安仏である。県指定文化財である。