斯波氏の時代コース巡り

I 斯波氏の菩提寺・源勝寺

源勝寺跡
寺院の沿革  『盛岡砂子』によれば、源勝寺はもともと高水寺斯波氏重臣の岩清水が開基した天台宗の寺院であったとする。寺伝では、享徳3年(1454)に近江国雲林寺(静岡県)四世長現和尚が東北巡化の折、高水寺斯波氏の帰依を得て志波郡土舘村の天台宗源勝寺を曹洞宗に改めて中興開山し、「稲荷山源抄寺」と号したという。源勝寺の存在は、『南旧秘事記』・『御領内神社仏閣由来記』などがその存在を伝えている。他方、延文年中(1356〜61)に高水寺斯波氏の下向に従って志波郡に定着したという伝承もある。        


銅像観音菩薩立像(国指定重要文化財)

斯波氏の菩提寺  

『御領内神社仏閣由来記』などの記録によれば、源勝寺は高水寺斯波氏代々の菩提寺であったと伝える。源勝寺は高水寺斯波氏時代には寺領の寄進や普請などの保護を受け、志波郡領内でも屈指の有力寺院であった。「奥州斯波系図」によれば、室町時代中期の高水寺斯波氏の当主である斯波詮将の子息である子鞏が源勝寺を法名としており、斯波氏と源勝寺の関係が想定される。源勝寺の由来については、斯波氏が高水寺城を築城する前に家臣岩清水の菩提寺である源勝寺を居館の一部とし、後に源勝寺を土舘に移転したとの伝承がある。                

竜泉寺(矢巾町)

創建場所はどこか  『祐清私記』によれば、源勝寺は高水寺斯波氏が岩清水(矢巾町)から移転した寺院とされる。延文年中(1356〜61)に大荘厳寺・源勝寺を従えて当地に下向した斯波家長が家臣岩清水氏の館に迎えられ、その後、高水寺城を築城して移ったとの所伝もある。この所伝は、斯波家長が死亡後に下向したことになって年代的に合わない。しかし、下向した人物は別にして、源勝寺は岩清水が開基したとされる竜泉寺(矢巾町)の境内にあったとする所伝とともに、高水寺城の築城時期を検討する際に一つの手がかりを与えてくれる。       


銅像観音菩薩立像(国指定重要文化財)

源勝寺の銅像観音菩薩立像  源勝寺(盛岡市)には県内最古といわれる銅像観音菩薩立像(国指定重要文化財)が祀られている。美術史上の白鳳時代から奈良時代前期のものと考えられている。源勝寺は享徳4年(1454)に高水寺斯波氏によって再興された寺院である。盛岡藩は領内の格式のある寺院を城下へ移したが、源勝寺もその内の一つである。像の来歴は定かではないが、盛岡城下に移転する前に土舘源勝寺に存在した可能性がある。赤沢には全国に誇れる平安仏が祀られている。源勝寺の古代仏も赤沢の平安仏とともに志波郡に祀られていたかもしれない。