樋爪氏の時代巡り

N全国に誇れる七仏薬師如来像


七仏薬師像中尊(県指定文化財)
七仏薬師とは  阿弥陀の西方極楽浄土は、もっとも知られた浄土である。ほかに薬師如来の東方浄瑠璃浄土、釈迦の霊山(りょうぜん)浄土、観音の補陀落(ふだらく)浄土などがある。浄瑠璃浄土には七仏薬師の仏国(=浄土)が7つ並んであり、一番遠い7番目に薬師如来の浄瑠璃浄土があるとされている。七仏薬師は「七仏薬師経」・「薬師経」に説かれている薬師如来を主体とした7尊の仏の本願と仏国土が説かれたものを具現化している。黒石寺(奥州市)の薬師如来坐像は、本尊光背の小仏と坐像本尊と併せて七仏薬師として造像したものである。


七仏薬師像脇仏1(県指定文化財)

平安時代の姿に  赤沢の七仏薬師如来立像は、平安時代末期に地方仏として同一仏師によって一具として制作されたと考えられている。近世期に保存強化のためか、像の表面に金箔や漆が施されていたが、木彫仏のため矧(は)ぎ目の緩みや虫害による損傷があった。さらに平成23年(2011)の東日本大震災では一部の像が損傷した。現在、虫害や転倒による損傷部分を修復するとともに、近世に施された金箔や漆を取り除き、平安時代末期の制作当初の如来姿に戻すため順次復元作業が続けられており、平安時代の姿に戻る日も近い。


七仏薬師像脇仏2(県指定文化財)

赤沢の七仏薬師  七仏薬師像は、画像として描かれる場合や本尊光背の七仏(六仏)と坐像本躯で七仏を表す様式が多いが、7躯の仏像一組で表現されることもある。赤沢薬師堂の七仏薬師像は、7躯の仏像一組で七仏薬師として制作されている。このような形式の七仏薬師像は少なく、全国的には松虫寺(千葉県印西市)や鶏足寺(滋賀県長浜市)の七仏薬師が知られているに過ぎない。松虫寺では中尊が坐像型式である。鶏足寺では7躯がほぼ同じ大きさである。赤沢の七仏薬師は中尊が大きくすべてが立像形式である。紫波町が全国に誇れる仏像である。


5qも続く赤沢あじさいロード

赤沢に祀られた七仏薬師  奥州市黒石寺の薬師如来坐像(国指定重要文化財)は我が国最古の貞観4年(862)の銘をもつ木彫仏である。その厳しい眼や威嚇的な表情は蝦夷を調伏するものと受け止められてきた。しかし胎内の墨書銘からそのような造立の願意は読み取れない。赤沢に祀られた七仏薬師像は、ほかの赤沢に祀られた四大明王像や毘沙門天立像とは違って、征夷の過程で命を落とした蝦夷の追善供養や、新たに志波地方の開発のために移住した人々を含めた人々の平穏な生活や一族の繁栄などを祈願する七仏薬師法の本尊だったのだろうか。