樋爪氏の時代巡り

C土地の歴史を語る箱清水板碑群



箱清水板碑群
板碑(卒塔婆)とは  板碑は地域ごとに形や石材に特徴がある。紫波町の板碑は関東地方に多い武蔵型板碑とは異なり、自然石を利用した豪放な形が多い。形態は梵字や画像で主尊とする仏や菩薩(阿弥陀如来・大日如来・釈迦如来など)を表現し、その下に銘文が刻まれるのが一般的である。造立趣旨は、両親など亡くなった者の追善供養や生前に死後の冥福のために行う逆修(ぎゃくしゅう)供養が多い。被供養者や願主名、造立趣旨、経典の一句である偈頌(げじゅ)、紀年銘(造立年月日)などが彫られることが多く、武蔵型板碑と共通する。

箱清水板碑群

宗教の聖地・箱清水  大荘厳寺の寺域は、浄土に取り次いでくれる仏・菩薩が常住する供養の聖地だったかもしれない。この地にはさまざまな信仰を形に表した供養碑や経塚などが造立された。県内の板碑は、磐井・江刺・気仙地方と北上川流域に多く分布する。紫波町の板碑の数は、和賀・稗貫・紫波・岩手の旧郡内では格段に多く、大荘厳寺・蓮華寺・新山寺など大寺を中心に、鎌倉時代に造立された板碑が大半である。樋爪氏が統治した志波地方は、領主が斯波氏に変わった鎌倉時代においても宗教活動が盛行した信仰の地であった。


不動明王絵像碑(県指定文化財)

県内最古の絵像碑  箱清水の板碑群の中に、不動明王を絵画的に線刻した不動明王絵像碑(像の絵を線状に彫った碑)がある。不動明王は刀剣をかざし、頭上には火炎光背が描かれている。この絵像の下に年号が刻まれている。鎌倉時代末期の元亨 3 年(1323)4月8日と判読されるが、元亨2年とも読み取れる。県内で仏像を線刻した紀年銘のある碑の中では、最も古いものとされる。絵像で不動明王を表現した板碑は、庶民にとっては難解な梵字や銘文で表現された板碑に比べ、具体的で理解しやすい板碑だったかもしれない。



清水端板碑

紫波郡内最古の板碑・清水端の板碑  比爪館跡内にある清水端の板碑は、盛岡城下までその名が知られた名水「箱清水湧水」の傍らに建つ3基の板碑である。かつてこの場所には正応5年(1292)の年号をもつ板碑があった。県内では一関市に所在する建長8年(1256)の年号をもつ板碑が最古とされている。紫波町の板碑は県内でも古い時代のものが多いが、これが実在すれば紫波郡内に所在する約60基の板碑の中では最古の板碑になる。この正応5年の板碑は、拓本が残されている。三尊型式の種子(梵字)があるが、願文や願主名は刻まれていない。