樋爪氏の時代巡り

E里帰りした五郎沼ハス


五郎沼の古代ハス
800年の眠りから覚めた大輪  昭和25年(1950)、朝日新聞学術文化事業団による藤原氏4代の遺体学術調査の際、中尊寺に納められた泰衡の首桶の中からハスの種子が発見された。この種子は、ハス博士といわれた植物学担当の故大賀一郎博士に託されたが、博士は発芽研究中に他界された。その後、中尊寺では改めて種子の発芽を大賀博士門下の長島時子氏(現:恵泉女学園短期大学名誉教授)に依頼した。平成5年(1993)に発芽に成功し、同10年(1998)に800年の眠りから覚め、平成の世に大輪の花を咲かせた。「中尊寺ハス」と命名されている。


五郎沼の古代ハス

平泉に届けられた泰衡の首  文治3年(1187)、藤原秀衡は死に臨み、4代泰衡に源義経を主君として仕えるよう遺言する。しかし、泰衡は義経を高館に攻め自害に追い込んだ。源頼朝は、義経をかくまったことを口実に平泉藤原氏討伐の兵を挙げた。文治5年(1189)、源頼朝の進軍に対し敗北の報を受けた泰衡は平泉館に火を放ち逃亡した。しかし、家臣河田次郎の反逆によって討たれ、泰衡の首は陣丘(じんがおか)に届けられた。厨川柵で首をさらされた後、黒漆塗りの首桶に納められ、中尊寺僧徒によって丁重に平泉に届けられた。


五郎沼の古代ハス

ハスの花を手向けた地元の民  平成14年(2002)、中尊寺から株分けされたハスが平泉ゆかりの五郎沼に移植された。中尊寺ハスは、奥州合戦の主戦場となった国史跡「阿津賀志山防塁」(福島県国見町)にも株分けされている。このハスの種子は、もともと五郎沼に咲いていたハスの種であったと伝わる。ハスの花を泰衡の首桶に手向けたのは五郎沼近くの民であったと地元では伝える。源頼義は安倍貞任の首を厨川柵でさらした。頼朝は先祖の例を再現するため、陣岡に届いた泰衡の首をあえて厨川柵でさらした。厨川柵まで進軍した理由がここにある。



五郎沼の古代ハス

極楽浄土とハス  不浄である泥の中から茎を伸ばし、清浄な花を咲かせるハスは、仏教の教義を身近に示してくれる植物であり、極楽浄土に最もふさわしい花とされてきた。辛く苦しいことが多い末法の世の中で人は悩み成長する。これを泥の中のハスの成長にたとえている。ハスは池・沼などの泥の中から成長し、水上に可憐な大輪の花を一気に咲かせる。仏教では、植物が咲かせる美しい花を悟りの境地に達した聖人にもたとえ、また、静かに散り枯れてゆく姿は無常観を、種が再び芽吹く姿は輪廻転生を表すとされている。