赤石歴史紹介 20選

(写真 鎌田千一氏)
この歴史マップは、紫波歴史研究会が 赤石の歴史・文化の保存・継承を目的に、「シニア世代による赤石の歴史伝承事業」 と銘打って実施したフィールドワーク事業の成果です。赤石にお住まいのシニア世代
を現地案内人として、このフィールドワークに参加した町内外の方々が、赤石の「お 宝」として次の世代に残したい、伝えたいと思う歴史遺産を紹介するものです。
①平沢八幡神社(平沢)
古くは平沢領主の簗田氏の屋敷神として信仰され、現在は 平沢地区の鎮守神として親しまれている。境内には平沢小学 校の訓導であった川村安之助氏の顕彰碑が建てられている
②平沢広沢寺(平沢)
水沢正法寺の僧が南北朝期に開き、紫波町では歴史ある 寺院である。南日詰廿木の北上川近くに建立されたが、洪水 のため数度場所を変え、江戸時代初期に現在地に移転した。
③志賀理和気神社(桜町)
平安時代に神位を授けられた全国最北の式内社である。中
世に「赤石大明神社」と名称を変え、神社名は村の名称に用い
られた。例大祭や山車行事は県内では古い歴史をもつ。
④南面の桜(桜町)
志賀理和気神社の参道入口近くの桜は、京都のある南の方 角に向けて咲くため、「南面の桜」と呼ばれている。地元では古 くから縁結びのご利益をもたらすと伝えられている。
⑤大日堂と覚王寺(北日詰)
大日如来像を本尊とする大日堂(覚王寺)は、江戸時代にも 修験道場が置かれ、北日詰村の信仰の中心だった。覚王寺に は家塾が開かれ、その教場は北日詰小学校の前身になった。

⑥興村の碑(北日詰)
赤石村は水不足の村として全国的に知られていた。村では 北上川からの上水を県に陳情し、電気揚水による給水が開始 した。興村の碑は荒廃した赤石村の再生を記念した碑である。
⑦日詰駅(北日詰)
明治期に日本鉄道の駅として開業した日詰駅は、紫波郡の 鉄道輸送の玄関口として親しまれてきた。構内には宮沢賢治 が日詰駅を作品の舞台にした「さくらばな」の歌碑が建つ。
⑧京田八幡神社(南日詰)
江戸時代の絵図や宝暦12年(1762)の棟札には「京田八 幡」と記録されている。八幡神が勧請された経緯は不明である が、古くから京田地区の鎮守神として信仰されてきた。
⑨比爪館跡(南日詰)
比爪館は、平泉藤原氏の一族である比爪藤原氏が北東北 の前線として整備した居館で、政庁・寺院・住居の三つの機能 を特徴とする。紫波町の中世を代表する歴史遺産といえる。

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⑩五郎沼薬師神社(南日詰)
比爪藤原氏が創建した薬師堂である。現在の社殿は往時 の姿ではないが、薬師堂の形を残している平泉関連遺産であ る。地元では古くから「薬師さん」として親しまれている。
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⑪箱清水板碑群(南日詰)
板碑は、死者の供養や自身の極楽往生を願って造られた供 養碑である。比爪館が廃虚になっても大荘厳寺の周辺は聖域 とされ、不動明王を絵画的に線刻した碑などが建てられた。
⑫延文六年供養碑(南日詰)
延文6年(1361)の年号が刻まれた供養碑である。五郎沼 は決壊することが多く、地元では人柱にされた娘の悲しい泣き 声が聞こえるという「夜泣き石」の説話が伝承されている
。
⑬五郎沼と古代ハス(南日詰)
比爪館跡は、五郎沼を含む広大な遺跡である。五郎沼の水 辺では、中尊寺の首桶から発見された種を発芽させた「中尊 寺ハス」が800年の時空を超え、大輪の花を咲かせる。

⑭ 五郎沼経塚跡(南日詰)
この経塚は、昭和初期に村の郷倉を建設する際に発見さ れ、経筒や経壺などが出土した。経典を納める珠洲産の壺は、 ほぼ原形をとどめ、平泉関連遺産としての価値を高めている。
⑮ 嶋の堂と千手観音像(南日詰)
「嶋の堂」の千手観音像は、五郎沼の中島に祀られていた。 名称の由来である。江戸時代に修験「観明院」が里修験として 地域に定着し、明治期に南日詰小学校の仮校舎になった。
⑯ 南日詰乾元二年碑(南日詰)
「嶋の堂」の境内には、鎌倉時代後期の乾元2年(1303)の 板碑が建ち、長い歴史を伝えている。比爪館に近い「嶋の堂」 は、比爪藤原氏が滅亡しても信仰の聖地であった。
⑰ 南日詰厳島神社(南日詰)
江戸時代の絵図には「大明神社」と記録されている。神社の 周辺は、干害や水害を受けた地域である。宗像三女神で、水 の神の「市杵嶋姫」(イチキシマヒメ)を祭神にしたのだろうか。
⑱ 南日詰八坂神社(南日詰)
江戸時代の絵図では「天王社」と見え、明治期に八坂神社 に名称を変えた。洪水被害が多い廿木地区の鎮守社で、境内 には近くにあった「月日神社」の「月読神命」を合祀している。
⑲西田遺跡(犬渕)
この遺跡は、集落の中心に共同墓地を配した環状(円形)の 形をした集落遺跡である。縄文時代のムラの形がわかる「縄文 モデル村」の典型として全国的に知られている遺跡である。
⑳ 犬渕岩手山神社(犬渕)
社伝では産金の守護神として創建され、明治期に岩手山神 社と名称を変えている。江戸時代の絵図には「宇南大権現」と 記録され、犬渕地区の鎮守神として広く信仰されてきた。
<< 制作共同参加者>>
✽ 共同主体:岩手県立大学総合政策学部
✽ マップ制作協力者(五十音順) 荒木田 弘一(北日詰) 岩清水 誠康(犬渕) 斉藤 健雄(平沢) 佐藤 春男(南日詰) 菅原 清孝(犬渕)
高橋 信(南日詰) 滝浦 博(南日詰) 玉山 雄造(平沢) 箱崎 勝之(南日詰) 藤尾 朋三(平沢)
✽ イラスト:尾形 望・熊谷 弘子・箱崎 いづみ
✽ 編集・監修:佐藤 観悦・大沼 信忠